DNI手続き開始から一年…取得までのミニゲーム

アルゼンチンでは、仕事など、合法的に1年以上の滞在ビザが発給されると、それを延長し2年以上になった時;アルゼンチン人と結婚した場合;子または親がアルゼンチン人などの場合においてDNI(Documento Nacional de Identidad)という国民カード、アルゼンチンの永住権の申請ができるのですが、私は3番目を使って申し込みました。
以下はただの小話であり、アルゼンチン国民カード取得についての情報を集めている人には全く役に立ちません。カードが家に届かなかった、または、申請後私のように国内にいなかったため、探す旅路に出る人には役に立つかもしれません。

移動生活が始まってからをついでに振り返ってみる

娘が2013年暮れに生まれた後、書類集め、手続きを開始。しかし何をするにもぼーっとしている私、やっと書類が揃い、提出したのは翌年6月頃。すると1ヶ月もたたないうちに相方の仕事の関係でアメリカに行くことに。これが2014年の7月24日。結局、DNIカードの受け取りが間に合わず、手元にないまま出国となりました。漏れなく書類さえ出してしまえば、手続き中でも出国はできます。手続きも最初からやり直し!ということはありません。カードを受け取るまで身分証の代わりになる写真入りのプリントをもらえるので、それを携帯して外国に出ました。
ロスのあと9月17日から日本に半年。その間もバリ島、九州、京都などに滞在し、帰りにまたLAに数日寄って南米ウルグアイに戻ってきたのが3月26日。アルゼンチンには5月1日に帰国。5月は大切な友達の結婚式が2つあり、イベントづくし。久しぶりのブエノスで友人との再会、新しい出会いと別れ、とにかく休みなしに人と会いまくる星回りの時期でした。もちろん、DNIカードの行方を探す暇などなく、5月27日より、サンタフェに行くことになり2ヶ月と少しが経過。ブエノスに戻って2015年の8月9日。15日には、また次の流浪生活の始まりが待っています。次に帰ってくる日は未定なので、さすがにこの1週間にはDNIを手にせねばなりません。手続き開始から1年以上経ってしまいました。私のDNIはどこにあるんでしょうか…いや、そもそもあるんでしょうか?

まずは移民局へ

DNI代わりにもらった有効期限が切れたプリントと、カードが配達されたときに引き換えとなる受け取り票をもって移民局へ向かいました。
入り口に立っている人に状況を説明すると、Hipolito Yrigoyen 952へいけとのこと。そこは、外国人用DNIを発給するオフィスのようです。移民局は、集めた書類を提出するだけの機関で、手続き後のことは他のところが管轄なんだそうです。
ちなみに、書類集めのときもそうですが、様々なオフィスに行かなければならない局面が多いです。このとき、スペイン語が出来ないから…と尻込みして誰かに代わりを頼むことはできません。いくら配偶者でもダメ。本人でないと、お金を取る業者の人だと思われて、門前払いをされるので注意。

イポリト・イリゴシェンにあるオフィスへ

こちらの窓口で、状況を説明すると、「DNIの受け取りは午前中だけ、8.00-12.00の間に戻ってこい」と言われました。「1年以上たっているが、ちゃんとあるのか?」と聞くと、「ある」という自信満々のお答え。よし。
翌日、指定された時間に同じオフィスへ出直す。受付窓口へ行くと番号の書いた紙を渡され、呼ばれるまで待つ。といってもこの日は私しかおらず、すぐに呼ばれ、Jujuy 468へ行けと言われる。次々に行き先を渡されるゲームみたいで結構面白い。時間は13.00まで。まだ間に合うぞ。

フフイにあるオフィスへ

道に出てタクシーを捕まえる。行き先の住所を告げ、道を曲がると、運転手が話しかけてきた。ブエノスアイレスのタクシスタは、話好きが多い。
「ひょっとしてDNIを受け取りに行くのかい?」
そうだというと、
「私も、かれこれ38年前、同じ場所へ自分のDNIを取りに行ったよ。今はカードだけど、昔は紙でできていて、出来上がるまでに1〜2年もかかったんだ。今では早ければ20日くらいでできるんだろ。私も外国人なんだよ。」
確かに、最初スペイン語が聞き取りづらかった。口ひげが唇にかぶさるように生えていたせいかと思ったが、外国人だったのか。どこの人かと聞くと、チリ人だった。
「26歳のときにチリから移ってきて、ここで(チリ人女性と)結婚し、仕事をし、家も買って、祖父にもなったよ。若い頃は1日16時間週6日一生懸命働いて2年で家を買ったんだ。あと1年仕事をしたら引退するのが楽しみなんだ。」
昔話はまだまだ続く。
「30何年もアルゼンチンで暮らしてきて、思いはどんなですか?アルゼンチン人のような気分?それともチリ人のまま?」
「まさか!私はずっとチリ人として生きてきたし、これからもチリ人のままだよ。仕事がらみで、何度もアルゼンチンの国籍をとらないかという話はあったが、ずっと断り続けて今まで来た。君だってそうだろ?この先どれだけ年月が経っても日本人ということは変わらないはずだ。」
と言われて、確かにそうだと思った。いくらアルゼンチンの生活に慣れても、日本人を捨てることはないし、根っこの部分はかわらない。いつまでも私は日本人だ。とすると、娘はどんな人に育つんだろう、という思いが少し胸をよぎる。おじさんがいうに、100%チリ人の血を引く彼の娘2人は、ブエノスアイレスで育ち、アルゼンチン人と結婚した。そして彼女たちは、ホームも心もアルゼンチン人なんだそうだ。
その後もおじいさんの昔話、アルゼンチンやアルゼンチン人に対する考え方、彼の家族や周りの人の話は続いた。私はこの運転手さんに出会うためにこの車を捕まえたんだなと時々思うことがある。ブエノスアイレスのタクシーの運転手さんとの出会いはいつも、なんとなく運命的だ。また同じタクシーに乗ることはないかもしれないけど、今ここで彼の車に乗るために、この目的地に着くためにこの時間があると思うと、なんだか人生はやっぱり不思議でとっても面白い。

フフイにあるオフィスに到着

入り口で並ぶべき列に誘導される。みなとても親切。入ってすぐのところに座っている、
「このおじさんが中国語を話せるから何かあったら。」
と言われるが私は中国人ではありません、というと、おおそうか、エルモッサ(美人さん)と笑顔で言われる。え、中国人は可愛くないとでも言う意味か?いやいや、単に挨拶代わりに気軽にそう声をかけるブエノスの普通のおっさんである。
しばらく並んだ後、受け付けで引換となる紙を渡すと、奥で名前を呼ばれるまで待つように言われる。奥の方では同じように待っている外国人がたくさん椅子に座っていた。
割とあっという間に名前が呼ばれて、担当の女性と対面式カウンターの椅子に座る。
「DNI番号は?」
と聞かれ、
「ありません」
というと、
「え?これが初めてのDNIなの?」
となぜか驚かれる。どうやらここは、カードが自宅にうまく郵送されなかった、または家にいなくて受け取れなかった人が受け取りに来るところのようだ。
いろいろ確認し、受領のサインをしていると、手続きをするおばさんが、カードにある私の写真と本人の顔を見比べて苦笑している。何かと思うと、
「写真が縦にのびちゃってるわね。笑」
ほんとだ、だいぶ面長になっちゃってる。笑 しかもよくみると、全体的にプリントが曲がっている。国民カードなのにこんなんでいいのか、さすがアルゼンチン。こういうの普通なんですか?と聞くと
「うん、縦長になっちゃう人もいるし、横長になっちゃう人も、まんまるくなっちゃう人もいろいろいるわよ。」
さすがアルゼンチン。。。(再)
こうしてやっとDNIを手にしたが、あー面倒臭い手続きが終わった!という思いが強くて、特に感慨深いということもありませんでした。ただ、DNIとは、アルゼンチン人にとっては思い入れのあるもののようで、これで晴れて君もアルゼンチン人だ!と周りの家族に大変歓迎されました。市民権があるだけで、アルゼンチン人ではありません!!日本人です!!と言ったけれど、だいたい一緒だよ〜と。そんな人々と歴史があってアルゼンチンがある。割とさくっと市民権が取れる国だからこそ、移民がたくさんやってきて、こういう国ができて、ひとりひとりにそれぞれのドラマがあるんだなぁとやっとしみじみしました。
ちなみに私は2009年にアルゼンチンに移ってきて以来、最初は観光ビザの切れる3ヶ月ごとにウルグアイまでフェリーで出てビザを更新し、観光客としてのステイタスで数年暮らしてましたが、2012年に日本に一時帰国して以来は一度もアルゼンチンから出ないままDNIの手続きをしました。将来、アルゼンチン人と結婚、もしくは子供を持つ予定のある人は、3ヶ月ごとにいちいち無駄にお金をかけてウルグアイに出国などしなくて大丈夫です。そもそも、アルゼンチンには違法滞在という概念がないと聞いたことがあります。DNIが発給されれば、出国していない期間はちゃらになり、罰金も請求されません。移民局に行って質問したところで、「僕は移民局の人間だから、こんなこと言ってはあれなんだけど…」と前置きして同じようなことを言われます。例えばイギリスなど、ビザが厳しい国の人と一緒になるために、ビザのためだけに結婚!など焦ってしなくても、好きな時にすればいいのですよ。
ただいわゆる”違法滞在”期間は、出国ができないので(出国時に罰金を払う必要があるため)それが困るかもしれないくらい。それから、万が一街角で警察官などに呼び止められて身分証明提示などがあったら問題になるとおもいますが、相当悪いことをしない限りはまずないです。
アルゼンチンはもともと移民で出来た国というのと、まだまだ建国200年の国なのでこの辺りがすごく寛容だと思います。今後、国の制度や性格が変わっていくこともあると思うので、将来はこの限りではないとは思いますが、今の所はビザ周りだけではなく、いろいろと非常にざっくりとしています。それが良い面に転ぶときも、逆もありますが。
とりあえず、私は長細い顔のにやけ顔カードで2029年まで生きていかないといけないらしいです。産後の、今よりもデブな写真なのでちょうど良いかな。24時間後の私たちはまた飛行機の中です。次はスペイン、マドリードから(たぶん)更新します。

2 thoughts to “DNI手続き開始から一年…取得までのミニゲーム”

  1. とんちゃんさん、初めまして。
    以前からブログのファンです。
    私も2月まで半年ブエノスに滞在していました。
    お友達を通じて、その時にお会いできれば…と勝手に思っていたのですが
    日本で生活されている時期でお会いできなかったのですが、今度はマドリーに行かれているのですね。 とんちゃんさんの価値観にいつも共感しています。
    私もブエノスで出産したので、このまま息子が3歳になるまでにブエノスへ戻ろうか
    それとも他のスペイン語圏で幼稚園へ入れようか、子供にとっていい環境は? と日々悩み中です。 マドリードには行ったことはないのですが、バスクには縁があり何度も行っていてもしかしたらバスクで幼稚園へ入れようか…と今は考えていたりします。
    マドリーでの生活や価値観、アップされるのを楽しみにしていますね。

    1. キュンコさん、はじめまして!コメントありがとうございます。
      なんと、バスクに何度も行かれているんですねー。私もマドリッドのあといろいろ寄りつつ、バスク地方へも行く予定でいます。バスクで幼稚園!なんていうのもまた面白いですね。子供さんのビザなんかで親も滞在できるんでしょうか。私も、子供の幼稚園のことなんかは考えるのですが、やっぱりある程度の定住の場所は生まれた場所か、親のどちらかの場所のほうがいいのかななど、いろいろ考えはしますが結論は全然出てません。笑
      ブエノスで出産もされたんですね!いつかどこかで会えたらいいですね!いろんな話ができそうです。バスクのこともいろいろ教えていただきたいです。

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